「芦野宏がカバーする曲」の多い歌手の3番目はシャルル・トレネです。トレネは何ヴァージョンものリサイタルの全曲をまかなえるほどたくさん作詞作曲しました。<ラ・メールLa Mer 海>は1938年、生地ナルボンヌの地中海に近い電車のなか短時間でつくり42年に歌ったが受けませんでした。戦後、伴奏者にたのみジャズっぽくアレンジされると1946年から国内だけでなくアメリカでも大ヒットしました。トレネの代表曲といえば、詩人の魂、街角もあるが、もっとも有名なのは<ラ・メール>でしょう。彼はおかしな身ぶりや表情で歌ったりするが、異能ぶりを見ぬいた楽譜出版商(コクトーとも)から「歌う道化師 Fou chantant」とあだ名されます。初来日1959のときある作家の評には、コミカルな歌などの身ぶりも表情も「節度を心得た」演唱とありましたけど。
芦野宏は<ラ・メール>をシャンソン・デビューの1953年から歌いはじめます。56年オランピアで歌い60年<枯葉>ほかとともにパリで録音しました。いずれもカラヴェリ楽団のクロード・ヴァゾリ編曲・指揮でした。生涯でいちばん多く歌いましたが、わたしが録音した1500曲・録画した600曲のなかでも最多です。リサイタルは毎回みてきましたが、終曲やアンコールは<ラ・メール>を選ぶことが多いのでした。訳詞で歌いだし原詩をつづける、または原詩で歌いはじめ訳詞につなぐ。「歌うための訳詞」の終行を聴いて、わたしは三好達治の詩「郷愁」を思い出します。
…ラ・メール やさしい子守唄よ/母の愛のように わが胸にうたうよ(薩摩 忠 訳詞)
「海よ、…お前の中に母がいる。…La Mère[母]よ、…あなたの中にLa Merがある。」三好達治
トレネと芦野は初渡仏1956いらい彼のリサイタル鑑賞後やパリでの録音時にスタジオ来訪、トレネの来日コンサート1959の前座など数かずの出会いと共演があったようです。彼にお願いし、わたしは仙台コンサート1969で担当者に案内してもらい楽屋で会いました。質問も用意しましたが、色紙やLPなどのサイン、ツーショットの撮影などで、そんな時間はありませんでした。
ベル・エポックに「2分35秒の幸福[小芝居]」とよばれた「シャンソン」は、E.ピアフが「三幕物の芝居」といい、イヴォンヌ・ジョルジュにあってもそうでした。いまは「シャンソン[歌]は3分間のドラマ[オペラ]」とも聞きます。ワルツなどにのった芝居歌はシャンソンの主流でしょう。
トレネは1937年に<ブンBoum>を作りました。仏語Boumは英語ならBoomであり「…ブーム」の意味もあっておもしろい。時計のチクタク、鳥のピクパク、グルグルなどいろんな擬音語を並べてそれぞれにブン、世界じゅうがブンという、リズミカルで感覚的な歌です。ゆかいな内容を楽しませるカナダ旅行1950、夢の国はどこに [歌の中に]55、ふしぎ [風変わり]な庭57などもあります。そしてラ・メール、詩人の魂51、街角54など抒情的・詩的な歌も。また<クルミの実>48「その中には野原…軍隊…神父様…パリ祭も見える」という空想的でシュールなものまで。それゆえトレネはリズムも曲も内容も、シャンソンに革新的な歌づくりをした改革者といわれます。
ミレイユを先駆者に、じらいレオ・フェレ、ルマルク、ブラッサンス、ミック・ミシェル、アズナヴール、ジャン・フェラ、さらにバルバラ、マシアス、アダモ、デュテイユなど自作をうたう歌手[シンガー・ソングライター]が輩出し、ジャック・ブレルが言うように「トレネがいなかったら、私たちはみんな会計係になっていた」かも。作詞や作曲の専業者も同様でしょう。トレネはアカデミー・フランセーズ会員には候補になっただけでしたが、偉大な天才詩人・作曲家・歌手です。
トレネのリサイタルをみたのは1回1969だけですが、TVではWeekend Paris(岸恵子) 1988.4.30にリクエストして鑑賞した<ラ・メール>は感激でした。彼の歌は芦野宏が歌うのを何回となく楽しんできました。ラ・メール、カナダ旅行、わが若かりし頃、詩人の魂、リオの春などはデビュー時1953からで、フランスの日曜日54、ブン54、ケベックの街で54、街角55、クルミの実56、パリの[好きな]ミュージックホール59、夢の国はどこに60など、かなりの曲数をデビュー早々から歌いつづけております。ほかに、パリに帰りて、鐘よ鳴れ、麗しのサルダーナ、ふしぎな庭など、シャンソン作家と歌手からこんなに愉悦と至福を享受したことはほかにありません。(2018.4.18) 後藤光夫©