「芦野宏がカバーする曲」の多い歌手順は、1モンタン、2ベコー、3トレネ、4マシアス、5ティノ・ロッシ、クラヴォー、6アダモ、7ジロー、8リーヌ・ルノー、レオ・フェレ、9アズナヴール、マリアーノ、アニー・コルディ、10サルヴァドール、ブラッサンス、J.フランソワ、です。
5番目ティノ・ロッシ(1907-83)の個人的記録は、文献などから次のようにわかります。
レパートリー2000曲、録音曲数1014(2000とも)曲、レコード売上1億数千万枚ないし3億枚
売上枚数の記録は時点が不明ですが、いずれにせよ桁外れ。本邦でも知られて歌われ愛される彼の主要曲は、すべて芦野宏がカバーしました。年代順に並べますが、はじめのだけは制作年がわかりません。曲名右の2桁数字は芦野が歌いはじめた年、ほとんどが薩摩忠の訳詞です。
? 星を夢みて55 ジャック・ラリュ詞、ハンス・メイ曲、ロッシ1948、日劇『秋の踊り』
歌手のジャンルのひとつに「シャントゥール・ド・シャルム」があり、後継クラヴォーの前に
ティノ・ロッシがそう称されました。本邦創唱の芦野宏も「魅惑の歌手」で、歌唱は絶品です。
1933 小雨降る径54 ロベール・シャンフルーリ詞、ヘンリー・ヒンメル(ドイツ系)曲、タンゴ
芦野宏ファンとしては、ティノ・ロッシのカバー曲といえばまずは<小雨降る径>でした。
リス・ゴーティが1930年代はじめ に創唱しており、ティノ・ロッシは1934年に歌いました。
本邦では彼より早い1933年に、カジノ・ド・パリの踊り子だった藤田嗣治夫人のマドレーヌが
白石正之助作詩<雨の夜は>の題で吹き込んでおります。おなじ歌詞で淡谷のり子も歌いました。
1936 マリネラ77 ジェオ・コジェほか詞、V.スコット曲、ロッシ主演の同名映画主題歌、ルンバ
1937 ナポリは火のベーゼ[灼熱の恋ナポリ]59 アンリ・ヴァルナほか詞、R.ラッセル曲、喜歌劇
1937 夜のヴァイオリン58 アンリ・ヴァルナほか詞、C.A.ビクシオ曲、レヴュー『世界大行進』
1938 待ちましょう56 ルイ・ポトラ詞、ディノ・オリヴィエリ曲。これら3曲はカンツォーネ
1946 プチ・パパ・ノエル58 レイモン・ヴァンシ詞、アンリ・マルティネ曲、映画『運命』
この<サンタのおじさん>というクリスマス・ソングは発売年に600万枚、1983年までに
売り上げは2500万枚とか3000万枚ともいわれます。宝塚出の葦原邦子が訳詞してご自身はもちろん、
リサイタルの演出など応援する「弟」芦野宏も毎シーズンに歌いました。
1950 バラ色のさくらと白いりんごの花56 ジャック・ラリュ詞、ピエール・ルイギイ曲
別題<バラ色の桜んぼの木と白いリンゴの木>が直訳かもしれないが、長すぎるし編曲
されたマンボ曲名<セレソ・ローサ>でもないでしょう。創唱1947アンドレ・クラヴォー。
1951 パリのセレナーデ59 フランシス・ロペス詞、F.ロペス、アンリ・ブルテール曲
豪華キャストの映画『パリはいつも歌っている』1951は、いまやだれでもたやすく見られる
でしょう。モンタン、マリアーノ、リーヌ・ルノー、ジョルジュ・ユルメール、サブロン、
ピアフらが、制作年からみて、みんな若いころに得意な曲を披露しています。ここでティノ・ロッシは
<パリのセレナーデ>を歌っているのです。芦野宏の歌唱もすばらしく、必聴ものですよ。
1955 オペレッタ『地中海』58 レイモン・ヴァンシ詞、フランシス・ロペス曲
一連のヒット・オペレッタのコンビ作で初演もシャトレ劇場。芦野宏は1956.10この公演中に
楽屋を訪ねて自分のSP<小雨降る径>を進呈しました。2年間の札止めでした。
1963 オペレッタ『ギターの季節』63 R.ヴァンシ詞、F.ロペス曲、ABC劇場
時代はイエイエ・ブーム(ロックの影響)のなかでもロングランしたそうで、さすが根づよい
人気のほどが窺われます。芦野宏はこの年TV出演し、オペレッタ鑑賞後に夫妻で楽屋を訪ねました。
作曲家フランシス・ロペスは生涯に50ものオペレッタ(喜歌劇)を作ったようです。
映画で<君はとても美しい>を歌ってくれた「世界で最美声の持ち主」とプレヴェールが絶賛し、「黄金の声」「ビロードの声」とたたえられた国民的歌手は、晩年1982.11歌手生活50年リサイタルを開いています。矍鑠としていたのに、亡くなったのは翌年でした(76歳)。シラク市長は彼をしのんで、1985年セーヌ左岸800mの河岸にティノ・ロッシ公園を新設しました。(2017.10.18) 後藤光夫©