歌めぐり旅(9)サン・ポール・ド・ヴァンス

 南フランスのサン・ポール・ド・ヴァンスを訪ねてみようと思ったのは、<枯葉>のジャック・プレヴェールが好きなところで住んでいたこともあるからです。ニースに近い丘の上にあり「ワシの巣」村とよばれる城塞都市でした。街なかは石畳の小路がめぐる歩行者天国で、軒を並べる小店は通りで眺めるのも窓を覗くのもたのしい。プレヴェールの詩を訳して、この町を教えてくれたのは画家・硲伊之助(1895-1977)です。朝の食事、花屋で、バルバラ、ピカソの散歩、など8編

 町をかこむ村の農夫たちは、プレヴェールがブドウ畑からの芳醇な地酒に足をとられてここを離れたがらないのだとか、彼がいい詩を書くようになったのは酒に酔って2階の露台から落ちて頭を打ってからだ、とうわさしました(硲伊之助『パリの窓』1952)。現場は硲[はざま]説に明記なく、他はシャンゼリゼ116の放送局ですが、事故年は出典により1947,48or49年の3説あります。

 彼が詩を書きはじめたのは1928年ごろからで、シャンソンは1934年ワル・ベルグ曲<抱きしめて>をはじめ、そのころ知りあったジョセフ・コスマ(1905-69)作曲は最初の<美しい星に>以下55曲以上になります。農民がうわさした20年も前から、すぐれた詩を書いていたのです。サン・ポールには1940年に疎開、47年以後は住んだり静養したり滞在したりします。1949年説はニコラ・バタイユ(1926-2008)です。プレヴェールに目をかけられ俳優・演出家になりました。演出のほかにTV語学講座など日本にも縁がふかい。歌手・上月晃(1942-1999)を1975年、主役としてフォリ・ベルジェールに紹介しました。彼女の主演、共演が友竹正則ほかでバタイユ演出の舞台『ボンソワール プレヴェール』1980が懐かしい。朝の食事、庭、枯葉、夜のパリ、バルバラ、など18曲。

   サン=ポール・ド・ヴァンス    飯島耕一
サン=ポール・ド・ヴァンスの丘の上で/きみはいまひとりのご婦人と/ジャック・プレヴェールの話をする。/彼女はプレヴェールに/いい詩をつくってもらおうと/日本のすてきな紙をあげようとした/だがプレヴェールは 詩はトイレットペーパーに書きますと/彼女の申し出をことわった/いじわるでいけない人ね/でもすばらしいすてきな詩人/サン=ポール・ド・ヴァンスに/プレヴェールはもう来ないらしい。(現代の詩人10,1984)[注:プレヴェール1977没]

 硲画伯が最初のプレヴェール紹介者、次いで数多くを訳してくれたのは小笠原豊樹(詩人・岩田宏1932-2014)と記したのは飯島耕一(1930-2013)です。わたしも3氏には多くを負っていて、とくに詩人・飯島は評伝『アポリネール』やデスノスほかの訳詩なども愛読しました。

   サン・ポール・ド・ヴァンス   作詞・歌ピエール・バルー、作曲フランシス・レイ
 サン・ポール・ド・ヴァンス/時は流れそして人生は過ぎて行く/サン・ポール・ド・ヴァンスをたずねるたびごと/…/がけふちを通る道から/一本の大きなやしの木と松の木が/城壁の石に根を下ろしている/その木々は時間という現実に悩み/青春の情熱にあふれた/落ち着きのない私の気持ちを鼻であしらっている/私の記憶がしたたらす/香りや ややこしい話のかけら
  ……/そして私の人生は私の未来を見せてくれる/このサン・ポール・ド・ヴァンスで

 

   あけぼの Aurore  アンドレ・ヴェルデ、H.クローラ&C.ローランス、イヴ・モンタン
 小さな真珠のようなしずくが眠っているお前のほほに光っている/お日様がかがやき、鶯は鳴きやみ、蛙も黙りこむ/でも私の心は夜の名残のあけぼのの庭に残る/川のような流れを聞いて高鳴る …… きっとお前は私のこと、夕べのことを夢みているのだろう ……  (訳者不詳)

 別題Auroreは正題を<サン・ポール・ド・ヴァンス>といい、イヴ・モンタンを聴きましたが、芦野宏には楽譜を見せてもらいながら聴かせていただく機会はありませんでした。(2017.1.18) 後藤光夫©

サン・ポール・ド・ヴァンス 遠望 1979.12.26
サン・ポール・ド・ヴァンス 遠望 1979.12.26
街のシンボリックな風景 1979.12
街のシンボリックな風景 1979.12
ボンソワール プレヴェール(原宿)
ボンソワール プレヴェール(原宿)
サン・ポール・ド・ヴァンス(あけぼの)楽譜
サン・ポール・ド・ヴァンス(あけぼの)楽譜