「パリを歌った詩やシャンソンが二万あるとか」「これほど歌になった街は他にあるまい」には、だれも異を唱えないのではないでしょうか。曲付きのものでは、プレヴェール:夜のパリParis at Night、庭[楽園]、アポリネール:ミラボー橋、西條八十:巴里の屋根の下(ラウル・モレッティ)、お菓子と娘(橋本国彦)、巴里の雪(同)、深尾須磨子:パリの冬、すずらんの祭など8編をふくむ『パリ旅情』(高田三郎)。交響「詩」もいれてアンリ・ソーゲの組曲『パリの風景』は、チュイルリー公園の朝、花の河岸、ヴォージュ広場、オペラ座広場の正午、凱旋門の夕暮れ、サン・ジェルマン・デ・プレの夜会、モンマルトルの夜、などを奏でます。曲なしでは、高村光太郎:雨にうたるるカテドラル、ルイ・アラゴン:春にであった見知らぬ女(江間章子訳)、わたしにはエルザのパリしかない(嶋岡晨訳)、ネルヴァル:リュクサンブール公園の小道(井上究一郎訳)など。
つぎは、ずばりタイトルが市名そのものですが、アポリネールのは割愛して、2つだけ。
パ リ 高村光太郎
私はパリで大人になった。…はじめて魂の解放を得たのもパリ。…パリの魅力は人をつかむ。…
パ リ ルイ・アラゴン 大島博光訳
嵐のなかでさえ さわやかなところ …… 夜のさなかでさえ 明るいところ ……
そして、作曲されたシャンソンには次のものがあります。
パ リ アンドレ・ベルンハイム(ベルナン)作詞・作曲 1949
思い出すのは、さまざまな歌/冬のとある夜、つくろわないほんとうの姿/セーヌ河、焼栗売り
/六階にある部屋/朝のクリーム入りコーヒー/モンパルナス、ドームの喫茶店/街はずれや、
学生街/チュイルリーの公園やヴァンドーム広場
(ルフラン)パリ、それはにぎやかさ/パリ、それは又、/それは優しさ/若者や職人/物売り
やお巡りさんのいるパリ/その春の朝/パリ、その木で舗装した道/ブーローニュの森のマロニ
エの木/パリ、私はしょっちゅうお前を思う/パリ、私はお前に会いたくてたまらない/いつか
又きっと会おう/私の大都会、パリと
もちろん、パリにも時には/困ったことが起きる/でも結局は丸くおさまる/パリなら、そうで
きるのだ/私にとって、パリはすばらしい日々/明るく軽く、時には重々しく優しい/私にとっ
て、パリは恋人/私は心変りしたりできない (対訳:橋本千恵子)
これを歌っているのはエディット・ピアフ。彼女の歌はそれまであまり親しんでなくて、せいぜい愛の讃歌、バラ色の人生、谷間に三つの鐘が鳴る、ほか数曲くらい。いいTV番組だったのに、『ピアフ、知ってるつもり!?』も録画はしませんでした。それがなぜ、といわれれば以下のようなわけです。かつてTV番組に日本シャンソン館提供『シャンソンを貴方に』(2000~2006)があり、おもに館長・芦野宏がうたい、ゲスト歌手をむかえ専属歌手もソロやバックコーラスをつとめました。毎回が待ち遠しく視聴したものです。2002年の半ばごろだったでしょうか、この<パリ>が歌われました。長年のコンサート通いで、彼のレパートリーはほとんど把握していたつもりでしたからビックリです。タイトルも気にいり、曲調もわたし好みでうれしいかぎりでした。
歌われた訳詞からは、セーヌ、マロン、カフェ・クレーム、モンパルナス、ドーム、カルチエ・ラタン、チュイルリー、ヴァンドームなどが聞こえ、遅ればせに聴いたピアフの歌った原詩からも、そのほかに森(ブーローニュ)のマロニエなどの名詞くらいは聴きとれます。仏教でいう四苦のうち老・病で海外行きを断念したいまは、それぞれがみな懐かしく愛おしい。(2016.8.18) 後藤光夫©