20世紀に<パリで>長いこと特派員をされた邦人の著書によると、「世界中にパリを歌った詩やシャンソンが二万あるとか聞いた」そうです。フランスの社会学者も21世紀に「これほど歌になった街が他にあるだろうか。多分あるまい」と記しております。たしかにパリという地名のはいったシャンソンは、ファンならすぐに何曲かあげられます。市内の名所・地名を含めて薮内久『シャンソンのアーティストたち』で数えてみますと、約4000曲ちゅう140曲くらいです。少ない? そんなものでしょう。「二万あるとか」の根拠はわかりませんが、題名にパリと市内の地名がなくてもパリを歌ったものがあり、作曲されていない「詩」もたくさん含まれているのです。
間奏にオペレッタをいれましたが、シャンソンにゆかりの風景や作者の生地・墓地などをたどる旅へと戻ります。ところで、そんな旅は音楽にとって有意義なことなのでしょうか。尊敬する識者たちのエッセイでは、無意味とかむなしいとか否定的でした。つまり、譜読み・作品研究とゆかりの地や事物の見聞には本質的な関係はない、だいじなのは時代と背景であり資料で調べられるといわれます。歌われる言語はわずかしか聴きとれず楽譜はたどれない、音楽はただ感覚的に楽しんでいるものにはムリなことです。わたしの海外旅行についていえば、じつは音楽のゆかりは口実にすぎません。なにかに誘われでもしなければ、遠い国へなど赴かなかったでしょう。シャルル・ボードレールの<旅へのいざない>ではないけれど、自分なりの意味はあるのです。海外への旅はいまやヴァーチャルならネットでもできますが、萩原朔太郎が<旅上>で「行きたしと思へども」かなわなかったところへは現地に足を踏みいれました。敬愛する詩人がいざなってくれたように。
パリ旅行 Voyage a Paris ギヨーム・アポリネール 窪田般彌訳
ああ! 何と楽しいこと
陰うつな土地を立ち去って
パリに向うのは
すてきなパリ
それは或る日
恋の女神が創ってくれたものにちがいない
ああ! 何と楽しいこと
陰うつな土地を立ち去って
パリに向うのは
この詩にはフランシス・プーランク(1899-1963)が作曲していて、聴いたのは歌手ジル・カシュマイユで、演奏時間は0:56。彼らのもう1曲<シャンソン>0:35よりはながい。
シャンソン・ファンにプーランクは縁がうすいかもしれません。彼の交友は音楽家が世界的にひろく、作曲した国内の詩人はアポリネール、ローランサンほか多数に及びます。エリュアールとは「ピカソ」「クレー」など『画家の仕事』など、不滅のコンビといわれました。画家のマティスとデュフィに心酔し、デュフィには音楽がテーマの絵が多く、アポリネール『動物詩集』の挿絵というご縁も。プーランクはジャンルがひろく器楽曲のほかオペラもあり、わたしには『カルメル会修道女の対話』のラストで愕然、『声』公演日の無断変更で憤然とした苦い思い出があります。
生まれはパリのシャンゼリゼに近い裕福な家庭で、若いころはモーリス・シュヴァリエに熱狂していたという。彼のシャンソンでよく歌われるのは<愛の小径>でしょうか。YouTubeでは創唱者イヴォンヌ・プランタン(1894-1977)を静止画ながら鑑賞できますし、フェリシティ・ロット(1947-)ならカラー動画で楽しめます。エリー・アメリンク(1938-)は1978年の来日公演ではラヴェル、フォーレ、シューベルトを鑑賞しましたが、75年のTVでは、サティ、レイナルド・アーン、ジョセフ・コスマ<枯葉>とともにこのプーランク作品もとりあげていました。(2016.7.18)後藤光夫©
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