シャンソン・コラムを『日本シャンソン館ホームページ』に2015.6.18から毎月掲載させていただいて5年、60回になります。コラム1本の原稿は、A4で文章1頁[約2000字]+写真1頁[6枚ほど]の2頁です。これで終了するつもりでしたが、新たにテーマを3つ思いついたので、このあとに続けさせていただきたいと存じます。コラム集全体のタイトルは「ウィーンのシャンソン」とよばれる「ヴィーナーリート」<わが夢の都ウィーン>にあやかって『わが夢の都パリ~シャンソン・コラム集』とし、138頁あります。この原稿は文字が10.5ポですからネット上やそのプリントより大きくて見やすい。あらためてあれこれ読み返してみたら、なにかと記憶の失われがちな今は思いつかないような記述が多々みられました。5年まえにはじめてよかったようです。
コラムに載せた写真はおもにヨーロッパで撮った約2700枚のなかの360枚ほどにすぎません。テーマにふさわしくてもスペースの制約で載せられなかったものが多く、それらは別に450枚ほどを『写真集』A4判80頁にまとめました。また記述の裏付けにした『文献』は70頁になり、これも別冊にしました。すべては「備忘録」です。これらを日本シャンソン館に納めさせていただければ、シャンソンもパリも好きだがネットは利用しないという方たちにも見てもらえるかもしれない。
コラム執筆の動機は、以下の通説への反論として裏付け資料をもとに私説を記そうと思ったことだったような気がします。1)<さくらんぼの実る頃>4番の歌詞はのちに加筆された、2)この歌を献呈されたのはルイーズ・ミシェル、3)仏日パリ祭のはじまりについて、など。 第3部「夢のあとに」はパリ20区を自分の足でめぐったもので、劇場などの出演歌手は資料で裏付けられた初出演年順に記しました。邦人ファンに馴染みのふかい歌手と劇場を優先し、前座や共演者はカッコ内にいれたり、また真打ちと前座の区別をしなかったところもあります。ベースにした出典は薮内久『シャンソンのアーティストたち』(1993刊行)と、90年代以降は2015年まで日本シャンソン協会発行『En Chantant』、『En Chantant+』誌の長南博文氏「コンサート情報」と記事です。ほかに蘆原英了、永田文夫、蒲田耕二、各氏らの著書なども参照しました。
シャンソン・歌曲・オペラ・オペレッタなどを楽しむのに夕がた会場へ出向くのがおっくうになり、カルチャーでのビデオ鑑賞が主になりました。家では、録りため買い足した音楽と映画や美術・旅番組のDVD・BD(β、VHS、8ミリ、LDからダビング) とMD(オープンリール、カセット、LP、CD、DATからダビング) にYouTubeから少々補足すれば、何千もの曲・演目と番組を楽しむことができます。また同好者たちとは、これまでのようにビデオ鑑賞会を続けるでしょう。 いま聴いているお気にいりの音源・映像はいつまた、いつまで鑑賞できるのだろう?そんな不安が頭をよぎりますが、いまそうできているのだからそれでいいではないかと思い直したりします。欲が深いのかできることなら永遠に楽しみたい、そのためには生きつづけなければ。それができないのは自明の理、ならば、せめて美しくまたは荘厳な音楽を聴きながら昇天させてほしい。選曲はむずかしいが、シャンソンなら<星を夢みて>、シューベルトからは<セレナード>、オペレッタは<メリー・ウィドウ・ワルツ>。いな、フォーレの『レクイエム』を流しつづけてもらうのがいい。音楽があんなに美しいと感じるのは、もしかしたら生命に限りがあるからなのかもしれない。
ホームページに掲載してくださった日本シャンソン館館長・羽鳥功二様、実務を担当された事務局・塚田まゆ様、歌手・曲目などについて教えをうけた田中真弓様と玄間理恵様、サロン会場を準備してくださった青木徹様、ほかスタッフの皆さま、コラムを読んでくださった方々にお礼を申し上げます。 本日は芦野宏さん生誕96年にあたります。生前にはわたしの音源・映像を由希子夫人とともに楽しんでくださいました。深謝いたします。(2020.6.18) 後藤光夫©