「パリ祭コンサート」つづき。表記は「パリ祭」に統一、副題など省略。( )は出典など。
◆石井音楽事務所1961.7.13~、大庭音楽事務所78.7~97.7、日比谷のち新宿・五反田・渋谷など
パリ祭[1]、1961.7.13、石井好子、深緑夏代、戸川聰、戸山英二、真木みのる、石井祥子。7.14は北村維章指揮のオケ演奏「パリ祭特集」日比谷野外音楽堂3038席(読売1961.7.6 、プログラム) プログラムに開催日は7月13日とあり年・曜日はないが記事(次頁中左)で1961年とわかります。
パリ祭[2]、1962.7.14、イヴェット・ジロー、石井好子、芦野宏[初~2011]、深緑夏代、高美アリサ、山本四郎、戸川聡、戸山英二、阿保郁夫、特別出演:藤村有弘(朝日62.7.8、プログラム) 前夜祭7.13日比谷公会堂2085席(En Chantant.vol.5,1992.7)
パリ祭[3]、1963.7.14、芦野宏、石井好子、中原美紗緒、深緑夏代、山本四郎、真木みのる、戸川聰、石島節子、川島弘、山崎肇、牧裕介、神長まさみ、司会:藤村有弘(読売63.7.8、朝日63.7.14、チラシ)。 この年1963.12「シャンソン友の会」発足(朝日63.12)。
プログラム1992に掲載された「パリ祭30年の歩み」(次頁下右)では、第1回が1963年イヴェット・ジロー(伴奏マルク・エラン)で上記の第1回、第2回は欠落。石井事務所主催の「パリ祭」はガラコンサートなので、リサイタル[独唱会]はありません。この年ジローの来日はパリ祭後の11月でした(自伝年譜)。読売記事1963.7.8(次頁中央)では「この催しはことしで三回目」とあります。
1962、63年のプログラム、チラシにも年・曜日は不記載で、本祭は7月14日(61年のみ7月13日)。上記「30年の歩み」の典拠は「友の会」会報「とあ・え・もあ」紙1977.5.10『パリ祭の歴史第1回~14回迄』(次頁下左)でしょう。回数はチラシ、プログラムで1987年から表示されますが、1961、62年の2回は欠落のまま。事務所創設者の諸著書や出演されたNHK『クイズ日本の顔』の字幕(次頁上左)にも「1961年にはじめたイベント」とあります(44回目は誤り)。「シャンソン友の会」主催を正式なパリ祭とすれば、会発足が63年12月なので第1回は翌64年になってしまいます。
パリ祭[4]、1964.7.14、芦野宏、石井好子、中原美紗緒、深緑夏代、岸洋子、小海智子、山本四郎、真木みのる、小林暁美(毎日82.7.7、朝日64.7.15は前夜祭7.13の記事、プログラム)
パリ祭[5]、1965.7.14、ルシエンヌ・ルフェーブル、芦野宏、石井好子、深緑夏代、大木康子、小林暁美、戸山英二、岸洋子、山本四郎、小海智子、田代美代子、山崎肇(プログラム)
パリ祭[6]、1966.7.14、イヴェット・ジロー、ジャン・サブロン、芦野宏、石井好子、岸洋子、深緑夏代、山崎肇、大木康子、小林暁美、加藤登紀子、堀内紀久子、中沢忠(朝日66.7.10、朝日66.7.15、プログラム) 〔横浜など主要7都市でも公演〕
パリ祭[7]、1967.7.14、ルネ・ジルベール、ジュリアン・ブーケ、芦野宏、石井好子、ビショップ節子、加藤登紀子、山崎肇、堀内美紀、岸洋子、中原美紗緒、深緑夏代、田代美代子、山本四郎、小林暁美、中沢ただし(チラシ、プログラム) 〔全国縦断公演開始〕
次回1968年のおもな出演者は、わたしが寄せてもらった「色紙」(次頁中右)のとおり。69年以降の公演については、特記事項を見出しからひろいます。万博協賛・ジロー(朝日70.7)、72ジョセフィン・ベーカー、高英男初出演(朝日78.7.6)、淡谷のり子初登場(朝日81.7.1)、89リーヌ・ルノー、91.9.1日本シャンソン協会発足、92マルセル・アモン、多分野のアーチスト(朝日98.6.29)、多彩な楽曲・総勢50人(朝日2002.6.28)、ゲスト多彩(朝日03.7.8)、石井さんの遺志つぐ芦野宏(朝日11.6.20)。
1960年代半ばから1984年まで毎年通ったあとは足が遠のき、2011年に4半世紀ぶり出かけたのは芦野宏が出演した最後の年でした。創始者の著書には事務所を「長く続ける気はない」とありますが、継続は力なり、シャンソンを日本の文化として根づかせた多大な業績を残しました。『女ひとりの巴里ぐらし』1955いらい著書すべてから学んだことが多いものとして感謝すること人後に落ちません。 (2020.5.18) 後藤光夫©