左岸13区のほぼ中央、イタリア広場のショッピングモールに2017.9ヴァリエテ専用ホール「トレジエム・アール」ができました。広場から南西方向にビュット・オ・カイユ通りをすすみ、ヴェルレーヌ広場を過ぎれば<さくらんぼの実る頃>の歌詞を店名にした店々と「パリ・コミューン広場」。通りの半ばから北東方向の通りで「パリ・コミューン友の会」が志を守り伝えております。
14区は市域の南端で、南東隅にあるモンスーリ公園はプレヴェール<庭>の舞台です。公園ぞいのレストラン・モンスーリ亭(ガザン通り20)にはレーニン、トロツキー、フジタ、ルソー、マルセル・カルネ、プレヴェール、サルトル、ボーヴォワール、F.サガンなどが常連でした。
第1次大戦後1920年代はモンパルナスの全盛期で、作家・詩人や画家ユトリロらと外来のピカソ、モディリアニ、キスリング、パスキン、フジタ、シャガールらが活躍し「エコール・ド・パリ」とよばれ、世界文化のメッカの観でした。シャンソン界では詩人R.デスノスが熱烈な片思いを寄せたイヴォンヌ・ジョルジュが「モンパルナスのミューズ」ですが、病弱で活躍は8年のみ。歓楽街は繁盛しモンパルナス大通りのドーム、ロトンド、クーポール、セレクトなどが名残でしょう。
モンパルナス墓地にエドガー・キネ大通りからはいれば、すぐ右手にJ.-P.サルトルとS.deボーヴォワール。哲学者・作家サルトルは<ブラン・マントー通り>の作詞者です。シャルル・ボードレールの墓碑銘は義父の下に名前があり、紫と赤の供花が美しい。ロベール・デスノスの墓は十字架と小石でかたどった名前を水平な墓石に載せてあります。セルジュ・ゲンスブールはやはり花々も遺影も華やかで、墓参するひとも多い。区画ぎわには礼賛者の拠金で作られたボードレール仰臥像の記念碑があります。通りをはさんだ向かいの区画にはパリ・コミューン記念碑がありました。墓地を出てドゥランブル通りを歩けば39番地にホテル・アポリネールがあり、詩人はカフェのドーム、ロトンドなどに足しげく通ったのでしょう。すぐそばには盟友のピカソ広場もあります。
《ボビノ》ゲテ通り20,850~1100席は1880年カフコンス「フォリ・ボビノ」ができドラネム、マイヨール、フラグソンらが出演。1918年「ボビノ」の看板でミュージックホールになります。ダミア、L.ボワイエがデビュー。1927年に改修・再開後はマリー・デュバ45,53、ミレイユ34,77[50周年]、M.オスワルド34,36,37。36年ジャン・サブロンは「はじめてマイクを使用」しましたが不評でした。人気絶頂のリナ・ケティ38,39、E.ピアフ真打ちで名声確立38,45(P.マラール)、パリでの最終公演63(サラポ)。マルジャンヌ39、L.ドリール39看板スター,56,60再起。A.クラヴォー40,42,52。ウェスタン調と物まね芸の新人Y.モンタン44。R.ルバ46,59、 H.サルヴァドール47,50、シャンソンの友(リーヌ・ルノー)48、パタシュ50、フレール・ジャック51、ムルージ52、J.フランソワ53,58など。53年から出演のブラッサンスは「ボビノの顔」になり、56年と69年は3カ月熱狂、73年4カ月連日満員、76~77年はさらに上回り記録的。60.4に芦野宏が楽屋を訪問。
C.ソヴァージュ55,60,68,71、A.コルディ55,60,64、M.アルノー55,60(伴奏ゲンスブール)。M.アモン56,58,60,62,76、ジャック・ブレル57,59真打ち「ボビノの顔」に,61。L.フェレ58,65,66,69、C.ルナール58~15回,76、P.コロンボ58,59、ルマルク58、J.ダノ60,62、マシアス62,63、F.ソルヴィル62、グレコ64、S.ラマ64,68,70、バルバラ64,65,67,75、J.フェラ65、レジアニ66[歌手転向],68,69,71,73,74、トレネ66、I.オーブレ68,73,01、M.モレリ69、M.ラフォレ70、ムスタキ70,72,74、H.マルタン70、G.ゲタリ70,96、C.ヌガロ71、Y.シモン72、マキシムL.F.72,81。Y.デュテイユ73、ジョセフィン・ベーカーは1975.4公演なかばに急逝し、近くに広場があります。J.ジャンメール77,78、ベティ・マルス77,83[ピアフ没後20年]、ニコレッタ79、ルノー80。オランピアより古い名門劇場でしたが、1984年に解体、91年に再建。「似て非なる」ものでも公演あり。I.オーブレ01。
《ゲテ・モンパルナス》ゲテ通り26,1868にはベル・エポックのカフコンス時代マイヨール、ギルベール、ダミアらが出演。B.シルヴァは全盛期にリサイタル、戦後1945~48アニエス・カプリが経営し、マリアンヌ・オスワルドを起用してプレヴェールの詩の朗読会、フレール・ジャックを売り出します。ソヴァージュは2度目1960でアラゴンほか詩人たちを歌いました。 (2019.10.18) 後藤光夫©