10区の北部にはボーヴェとアミアン行きの北駅、ランス行きの東駅があります。駅の東を北へ向かうのはイヴ・モンタンが歌う<フォブール・サン・マルタン>1952。東の区境の近くにはロベール・デスノス広場があります。10・11・3、三つの区の交点は集会やデモで市民が集うレピュブリック[共和国]広場です。南の2区との境界はポワソニエール、ボンヌ・ヌーヴェル、サンドニ、サンマルタンの各大通りがはしる<グラン・ブルヴァール>の中間部分。このシャンソンはジャック・プラント作詞、ノルベール・グランズベール作曲、モンタンの創唱1951でヒットしました。
ギルベール1892、マイヨール95が出演したエシキエ通り10コンセール・パリジャン(1881~1909)はベティ・マルス出演1960のコンセール・マイヨール(1910~79)となり、いまは建物正面に面影のみ。東の《ポルト・サンマルタン》劇場1781,1000席はオペレッタにミスタンゲット1935やG.ゲタリ出演の『パシフィコ』58、81年に『皇帝のスミレ』も。隣接の《ルネサンス》劇場1838,740席は「ルネサンス・フランシス・ロペス劇場」1978~81として『アンティル諸島の真珠』79、ゲタリ主演『モンテカルロの冒険』81、同『タヒチの恋』83などを上演。劇場まえのヨハン・シュトラウスⅡ胸像は、オペレッタ第1作『インディゴと40人の盗賊』パリ初演1875のゆかりかも。
東駅の南、ストラスブール大通り4《エルドラド》1858~1930,2000席は古いカフェ・コンセール、新人の登竜門でした。支配人ロルジュは策を講じて1867.3.31、舞台衣装の着用・芝居の上演・幕間に踊りやアクロバットなど、革命ともいうべき規制緩和を実現し、ミュージックホール化へと業界隆盛のさきがけをなしました。67.9.30作曲者アントワーヌ・ルナールが<さくらんぼの実る頃>を創唱します。ロートレックが描いたアンバサドゥール出演1892用ポスターを反転したもの1892に見えるブリュアンも出演。ギルベールは初出演1889で人気が出なくても画家のおかげでムーラン・ルージュへ進出しました。ミスタンゲットも活躍1889~1907。アンナ・チボー(デビュー1904)は<さくらんぼの実る頃>をヒットさせ、脂がのります。自信をつけたシュヴァリエがデビューし1907看板スターに。時は流れて、1933年に映画館、のち劇場としてF.ロペスのオペレッタ『タヒチの冒険』1988、『ウィーンの夢』88、『ラ・ベル・オテロ』89など、いまはミュージカル。おなじ通り、向かいの13番地に《スカラ》1878ができて、ギルベールが1892~95満員札止め。1896エルドラドと経営が共同化され、エルドラド「庶民的」スカラ「高尚」を看板に。マイヨール1900、ダミア。ミスタンゲットがレヴュー『沈黙して用心して』1915に出演。36年には映画館に。
11区、マルト通り50ミュージックホール《アルハンブラ》1904~67,2400席、のち映画。ダミア1911、ミレイユ34、ミス『パリの花』36、マルジャンヌ39、G.ゲタリ44、ユルメール44、R.ケティ45、Y.ジロー46、M.アモン56,12。芦野宏は引退興行のシュヴァリエ訪問56。J.ジャンメール歌手デビュー57 (J.ブレル),61(J.フェラ)、J.ブレル57、A.クラヴォー57、J.アリディ60 [ロック賛否の騒ぎ]、アズナヴール60(J.ボワイエ),67、L.フェレ61、J.フェラ61,65、M.-P.ベル11、N.クロワジル11,12、ジル・エグロ12,13。ヴォルテール大通り50カフコンス《バタクラン》1863~1932,1500席はミュージックホール化、B.シルヴァ、ミスタンゲット、シュヴァリエら。1932映画館、83劇場、薩めぐみ84、G.ラッソ89、J.クレール02、M.デルペシュ05、ニコレッタ13。ロックの殿堂に。15テロ。ボーマルシェ大通り10《コンセール・パクラ》650席はエポックの名で1899ブリュアン経営兼歌手。パクラ名1925~62でB.シルヴァ、クラヴォー、ボワイエ、ムルージ、パタシュ、マルジャンヌ、ブラッサンス、アズナヴール、バルバラら。区内にピアフ博物館とダミア公園あり。
バスチーユ広場の近くにフランシス・ルマルクが生まれた下町があり、<ラップ通り>1950を作詞して歌いました(創唱ムルージ)。この界隈ではオーヴェルニュ人持参の舞曲とイタリア移民のアコーデオンとで19世紀末~20世紀半ばにワルツ・ミュゼット(ジャヴァ)が生まれ育ち、このジャンルのシャンソンができます。1940~50年代には、たとえばルマルク詞曲のア・パリやドミノ、パリの空の下、詩人の魂、街角などが作られました。ラップ通り9番地にパリ最古のダンスホール《バラジョー》1936があり、帰り道で見かけましたが休業なのか閉まっておりました。(2019.8.18) 後藤光夫©