夢のあとに(4)パリ6区~7区 タブー エクリューズ

 6区は左岸、セーヌ川に沿ってパリ中央に位置し、区内の南に広い敷地を占めるパリの代表的な公園、リュクサンブールがあります。コラ・ヴォケールはビュット・ショーモン、モンソー、チュイルリも舞台にして、女の一生を語る<パリの公園>(ミシェル・ヴォケール詞)を歌いました。

 区の北部にはパリ最古のサン・ジェルマン・デ・プレ教会があり、かいわいは教会と同名でよばれる地区です。ジャコブ通り10ライヴハウス《エシェル・ド・ジャコブ》ヤコブの梯子1948約50席は、ミック・ミシェルがデビューし、フランシス・ルマルク1949、51、ジャック・ドゥーエ、ジャック・ブレル53など良質のシャンソンを提供していました。56年に芦野宏が鑑賞。コラ・ヴォケールは<枯葉>を1948年ここで歌いだし、同年に録音します。M.=P.ベル70デビュー。

 教会の向かい側にカフェ・ドゥマゴ[中国人形]とカフェ・ド・フロール[花の女神]があります。戦前1940年前後からジャック・プレヴェールたちの演劇・映画・詩作など文化・芸術活動の拠点でした。戦後、実存主義者たちの根城としてJ.-P.・サルトル、S.de・ボーヴォワール、A.カミュらや若者たちもつどい、実存主義・ジャズ・シャンソンなどで盛りあがります。地下クラブ《タブー》1947~48ドーフィヌ通り33や《ローズ・ルージュ》1949~58レンヌ通り76ができ、歌手デビュー直後のグレコがうたい、彼女は米『ライフ』誌に写真が載り「サン・ジェルマン・デ・プレ[実存主義者]のミューズ」とあだ名されました。映画『想い出のサン・ジェルマン』1967ではタブーや<そのつもりでも>をうたうグレコ、サルトル、ボーヴォワール、コクトー、クノーらが顔をみせ、ボリス・ヴィアンは<脱走兵>とトランペットを聴かせます。LP原盤「サン・ジェルマン・デ・プレの黄金時代」では、ジャック・カネッティとともに業界の実力者で評論・作詞家・キャバレ《クオッド・リベット》1948~50支配人フランシス・クロード(タブー、ローズ・ルージュの常連ミシェル・アルノーと結婚)が解説し、プレヴェール兄弟、フレール・ジャック、グレコ、ジョセフ・コスマ、アニエス・カプリ、ルマルク、ムルージ、レオ・フェレ、ソヴァージュ、B.ヴィアンらの証言・朗読・歌声が聴かれます。1947~50年代初めは「左岸派」とよばれるシャンソンのメッカでした。

カフェのそばの短いアポリネール通りは<ミラボー橋>で詩人の恋が終わり晩年に住んだサン・ジェルマン大通り202に近い。レオ・フェレ詞曲・歌<サン・ジェルマン・デ・プレで>1949やグレコの歌う<あとには何もない>(ギイ・ベアール詞曲1959)は、あの時代の想い出を歌います。

 キャバレ《エクリューズ》水門1949~75約40席はセーヌ川べりサン・ミシェル橋のたもと、グラン・ゾーギュスタン河岸15です。アニエス・カプリ1951、フランシス・ルマルク、コラ・ヴォケール<枯葉>52、ブラッサンス、ジャック・ブレル、ジャン=クロード・ダルナル54、ピア・コロンボ56、ギイ・ベアール、エレーヌ・マルタン58、F.ソルヴィル61、セルジュ・ラマ64、モニック・モレリ66、M.=P.ベル70、イヴ・デュテイユ72など。バルバラ53は1958~64には「真夜中の歌手」とよばれました。コラ・ヴォケールは71年からの経営危機に無償出演で応援した美談のひとです。好きな歌手・歌では、若い世代のY.デュテイユ<子供を抱いて>ほか、<さくらんぼの実る頃><幸せな愛はない>などのH.マルタン、<パパ・オー・パパ>詞曲のジャン=クロード・ダルナル。この歌は薩摩忠訳<パパと歩こう>の題でNHK『みんなのうた』1973に採用。

 パリ7区は6区の西隣りでセーヌ左岸の地区。中央に目立つのはアンヴァリッドとブルボン宮です。その東のオルセー美術館は娘との付きあい2007.3で、館内各部屋ほとんどすべてをまわりました。2010年にはエッフェル塔にのぼりましたが、ミラボー橋方向の対岸に円形の国営放送局1963が見えます。芦野宏パリでの放送出演歴は1956年ラジオ数社と60,61,63年に国営TVなどですが、それは旧局舎(1949~63)で、1988.12.1「24時間ショー」は見えた局舎のほうでしょう。

 グルネル通り61番地にはジャックの弟ピエール・プレヴェールが経営するキャバレ《フォンテーヌ・デ・キャトルセゾン》四季の泉1951~61がありました。オーディションに遅れて皿洗いに雇われたのがバルバラ。厨房の小窓からピアフ、モンタン、ムルージ、ルマルク、B.ヴィアン、M.オジュレ、ブラッサンスなどが歌うのが見られて、のちの糧になったことでしょう。(2019.4.18) 後藤光夫©

カフェ・ド・フロール 隣のドゥマゴとともにサルトル、ボーヴォワールらとプレヴェール兄弟らのたまり場でした
カフェ・ドゥマゴとサルトル&ボーヴォワール広場
エシェル・ド・ジャコブ コラが<枯葉>を歌った
タブー(地下)跡 キャバレ、ディスコなどに
エクリューズ 「真夜中の歌手」バルバラが歌っていた
エッフェル塔から<ミラボー橋>、放送局を望む