ドイツ初訪問はフランクフルトで、1971年の夏パリでひとり1週間すごしたあとツアーに合流したのでした。ゲーテ博物館(生家)で落ちあい、その安堵感で見学などはうわの空、文豪には失礼しました。そもそも文学趣味はあまりなく音楽でいえば彼には好感をもてません。共和主義者のベートーヴェンと貴族に卑屈な彼とが温泉地で出会ったときは気まずいものだったとか。シューベルトは彼の詩にたくさん作曲し楽譜も見せたのに、忙しくて見ないのか生前には評価してくれませんでした。わたしのゲーテ博物館の再訪は2009年、前年に改装された建物を探しあてただけ。
この09年が38年ぶりドイツの旅2回目で、ライン河くだりから始まりました。城をたくさん眺め、岩山の上に乙女像が見えてくると船内にハイネ詩/ジルヒャー曲の<ローレライ>が流れます。おなじ詩にリストも作曲(歌エーリッヒ・クンツ)。下船してボンに着き、ベートーヴェン・ハウス(生家)を見学。親しんだのは『田園』ほか交響曲、ピアノ・ヴァイオリン協奏曲、四重・三重奏など。ケルンにはゴシック建築の集大成のような、双塔の高さ156mの大聖堂がそびえております。フランス各地と北スペインの要所を見てきたロマネスク・ゴシック旅の終着です。ドナウ河の岸辺が花盛りだったウルムには、高さではケルンをしのぐ聖堂があります。単塔が161.53mで、教会の塔としては世界一高いといわれます。ウルム劇場には鮫島有美子が1982年から5年間、専属でオペレッタにも出ておりました。ほど近い天空のホーエンツォレルン城は外観も家系も輝かしい。
ロマンチック街道はフュッセンから出発しノイシュヴァンシュタイン城、ヴィース教会、ミュンヘンの大ホールでのビールとアトラクション、…、ローテンブルクは教会ほか街なかをくまなく見歩いたあと城壁の廊下を一周しました。ヴュルツブルクではドイツ最大のバロック建築、レジデンツ(司教領主の城館)は世界一の天井フレスコ画が驚きでした。庭園もいい。広大な前庭には人物像を配した噴泉があり、二人の名前が読みとれます。中世の詩人ワルター・フォン・デア・フォーゲルワイデとおなじく中世・後期ゴシック木彫の巨匠マルティン・リーメンシュナイダーです。彼が関わった作品はいくつかの教会で見てきました。アウグスブルクがパスされたのは残念でした。
ハイデルベルクは今回再訪した2カ所目で、ライン河の支流ネッカー川の河畔にあり、古城と大学で有名な古都です。高台にあるハイデルベルク城は見上げる姿が美しい。たどり着いた城門は廃墟ふう高層建築の一部とともに、38年まえ見たままのようです。街並み・アルテ橋・「哲学者の道」のある対岸の聖山を一望にする眺望は、靄にかすんでいるがすばらしい。城内には地下の穴倉にこれも有名な大きな酒樽があり、シューマンの『詩人の恋』ハイネ詩16にも詠まれております。
城下の街にはドイツ最古のハイデルベルク大学があり、近くにGasthof zum Roten Ochsen(ホテル赤牛館)もあって物語の舞台(モデル)になりました。むかしある小国の王子がこの大学に留学します。歓迎の場で宿屋の娘が花束と詩を捧げました。とおき国よりはるばると/ネカー河のなつかしき/岸に来ませるわが君に/いまぞささげんこの春の/いと美わしき花飾り(番匠谷英一訳『アルト・ハイデルベルク』) 王子と娘はたちまち恋におち、学生たちに囲まれて青春を謳歌しました。やがて王子は帰国をよぎなくされ、身分ちがいゆえの悲恋に終わります。この戯曲をもとにオペレッタないしミュージカルにしたてたのが『学生王子』。作曲はハンガリー生まれで、フランツ・レハールらが活躍するウィーンで過ごし渡米したジグムンド・ロンバーグです。
劇中歌は、ドリンキング・ソング、黄金の日々、最愛のひと、わが心に君深く、などで学生の大合唱もいいし、白眉は<学生王子のセレナード>でしょう。映画『歌劇王カルーソ』1951で主役を演じたマリオ・ランツァが王子カール・フランツ役のミュージカルをはじめ、<セレナード>だけならマリオ・デル・モナコ、ジャン・ピアーズ、ホセ・カレーラスもLPなどで聴きました。二期会公演は1975,94を観て、終幕では娘ケティの悲痛な叫びが耳に残ります。75年公演はランツァとともにハイライトを録りました。石巻はわが青春の地ですが、独身寮で出勤時にFMから流れる楽団演奏に後ろ髪を引かれる思いをしたものです。それがマントヴァーニの<朝日のようにさわやかに>でロンバーグの曲と知ったのは、数年でそのまちを去ったあとのことでした。(2018.11.18) 後藤光夫©
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