歌めぐり旅(27)麗しのサルダーナ

 「サルダーナ」というのはTV『地中海エレガンス紀行バルセロナ』や『ヨーロッパ美術館めぐりミロ』を見て知り、映画『Boum sur Paris』1953ではシャルル・トレネが新曲<麗しのサルダーナ>1952を披露するのを楽しみました。それは見終わると間をおかずにまた見たくなって何度も見てしまう、コンサートでいえばモンタン・リサイタルのような、まれな体験でした。

 サルダーナとは古代ギリシャに起源をもつといわれる、スペインのカタルーニャ(英カタロニア)地方の民族舞踊のことで、カタルーニャの人びとにとって民族の誇りといわれます。トレネの生まれたフランスのナルボンヌや歌の舞台コリウールなどは文化圏としてカタルーニャと同じ圏内です。バルセロナはカタルーニャ州の州都で、土曜の夕方と日曜日の正午に大聖堂まえの広場で市民が手をつなぎ輪になって楽隊に合わせてサルダーナを踊ります。独立志向のつよい地方で、この踊りもそのための団結を表しているのでしょう。舞台のトレネはひとりで軽快に踊り歌っておりました。歌詞ではスペインに近いコリウールの祭りの日には若者たちには恋の花が咲くのだそうです。

 芦野宏は<麗しのサルダーナ>をパリのセレナーデ、パリはシャンパンだ、ア・パリほかとLP『シャンソン・ヒット集』1959に入れました。その後はTV『くらしの窓』や静岡・山梨芦の会(後援会)コンサートなど、数回は聴かせていただいたでしょうか。2012年CDに復刻されましたので、地味ですがもっとひろく親しんでもらいたい曲です。「歌われる訳詞」1番の前半は、

  麗しのサルダーナ 楽しいひととき/踊ろうよラ・サルダーナ 春の光あびて/みどりの野原に
  みんな円くなって/男も女も若者も年寄りも/すてきなこのダンスを/…(薩摩 忠 訳)

 訪ねることのかなわなかった都市はプラハ、ブダペスト、ミラノ、アッシジ、トリエステ、エル・エスコリアルなど、ロマネスク教会はコンク、モワサック、ショーヴィニーです。体調悪化で2012年をもって海外旅行は終了し、それゆえバルセロナへは行けませんでした。わたしにとってこのまちの魅力は美術です。シャンソン好きから生じた中世の教会めぐりの一環で、ロマネスクを鑑賞したい。カタルーニャ美術館はボイ谷の教会の壁画「全能のキリスト」ほか名品を収蔵しております。このまち生まれのミロ美術館があり、ミロのことはクレーほかの画家とともに、美術書の翻訳もある薩摩忠から教わったのでした。そして、ゆかりの地にあるピカソ美術館です。ミロが晩年にアトリエを構えたマヨルカ島に渡れば、海辺にそびえるゴシックの大聖堂も仰げます。転地療養のためジョルジュ・サンドと滞在したショパンは、島の修道院で前奏曲「雨だれ」を作曲しました。

 ピカソは南スペインのマラガに生まれ、転居してバルセロナとマドリードで美術学校に通います。1900年、第2の故郷バルセロナではカフェ「4匹の猫」で画家仲間と付きあい、個展も開きました。やがてパリへのぼり、当時の絵に「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1900、カフェ・コンセールの「女性歌手」01、「曲の終わり」01や「ムーラン・ルージュにて」01、「フレンチ・カンカン」01などがあり、よく楽しんでいたことがわかります。スペインへの往来のあと、1904年モンマルトルに落ち着きました。そこはM.ジャコブやA.サルモンが「洗濯船」と愛称したアトリエ長屋です。

 ピカソとは1950年代に教科書で「絵を描くクロード」1951を見たのが出会い。そのあと1979年パリ・グランパレの『ピカソ回顧展』で見た、新古典主義の「母と子(オルガとパウロ)」1922にはそれまでの印象とはちがう感動をおぼえました。バルセロナのピカソ美術館1963へは行けませんでしたが、画家の死1973後パリにできたピカソ美術館1985は2度も入館しました。かつてモンマルトルの酒場には自画像も描きいれた「ラパン・アジルにて」1905を掲げてあったはずです。わが家には1/4サイズを飾ってあります。1907年ピカソは長屋で「アヴィニョンの女たち」を仕上げました。プラド美術館別館で「ゲルニカ」1937を間近に見たのは、サンチャゴ巡礼で寄り道した2005年でした。アポリネールやプレヴェールには、録音された自作詩の朗読が残っております。アポリネールもピカソもM.ジャコブもラパン・アジルの常連でした。彼らはフレデ親父の弾き語りに唱和したこともあったでしょう。ピカソはどんな声で歌っていたのでしょうか。(2018.7.18) 後藤光夫©

ステージで歌うシャルル・トレネ
LPシャンソン・ヒット集 麗しのサルダーナも
ショパンとサンド(モンソー公園8区)
ムーラン・ド・ラ・ギャレット跡 ピカソが描いた1900 [18区]
ピカソ ムーラン・ルージュにて、カンカン描く1901 [18区]
洗濯船1982 ピカソは1902年この共同アトリエに [18区]