シャンソンの<枯葉>は戦後最大のヒット曲、シャンソンの代名詞といわれます。グローバルかつジャンルを超えたひろがりからすれば、中世以来のフランス・シャンソン史上にかがやく珠玉であり、映画史においては『天井桟敷の人々』の脚本を担当し、ジャック・プレヴェール(1900-77)は金字塔を2基うち立てました。歌の成り立ちについては多くの文献に書き尽くされております。歌は詩ないし詞があってそれに作曲されてできるのが通例で、既成曲に作詞されてできる例は少ないでしょう。この<枯葉>はその少例で、曲はバレエの一部分です。バレエは1945.6.15サラ・ベルナール劇場(現パリ市立劇場)で初演された『ランデ・ヴー』(脚本:J.プレヴェール、音楽:ジョゼフ・コスマ、振付:ローラン・プティ、美術:ブラッサイ[ジュラ・ハラーシュ])でした。
それが映画化されることになり、脚本を監督のマルセル・カルネ(1906-96)と担当したプレヴェールが主題歌としてバレエのパ・ド・ドゥ(二人踊り)部分に<枯葉>という詩を書きました。主役決定までの難航も語り草です。予定ではマレーネ・ディートリヒとジャン・ギャバンでした。ディートリヒは打ち合わせに来なかったり、脚本に難をつけたりして出演拒否、バツ2後で熱愛中のギャバンも彼女に従いました。後任は新人歌手・俳優のイヴ・モンタンと新人女優ナタリー・ナティエです。モンタンの起用には、歌も俳優も姉さん女房的なエディット・ピアフの推薦が通りました。
ギャバンが一人で来たはじめの打ち合わせでは、作曲者のコスマがピアノを弾いて歌って聴かせると、ギャバンは何度もなんどもせがんで十回ほども繰り返したといいます。そのあとも、居合わせたみんながピアノなしでも口ずさんだらしい。このことは写真家のブラッサイ著『語るピカソ』の注記や、ドキュメンタリー『映画の巨匠ジョセフ・コスマ』仏米1997でもカルネが、ギャバンは「覚えやすいし、いいんじゃないかな」と語っていたと証言しています。ブラッサイ(1899-1984)たちは<枯葉>の誕生に立ち会っていたのだ、と後年いたく感激していたようです。
こうしてバレエ『ランデ・ヴー』は『夜の門』というタイトルで映画化されたのでした。「夜の門」とは映画でもう一つの挿入歌<愛し合う子供たち>の歌詞2行目にあることばです。撮影は1946年1月末から開始され7月で一区切り、… 予定どおり12月に封切られました。あらすじは、大戦直後1945年2月レジスタンスの闘士ディエゴ(モンタン)が同志レイモンの死を知らせようと妻を訪ねるが、そこに彼は生きていた。運命(ジャン・ヴィラール)の予言どおり、彼は昔の恋人マルー(ナティエ)に出会い、裏切り者ギイ(レジアニ)を見つけるが、……。そのなかで<枯葉>のメロディが運命のハーモニカとディエゴの口ずさみ、ハミングで流れます。映画の評判はさんざんで、カルネ=プレヴェールのコンビは終焉し、モンタンもひとときはがっくりです。
詩や詞というものは、フィクションなり体験に基づいていたりするでしょう。歌詞にポエジーがあって、ふさわしい曲が付されれば名曲として長く後世に残ります。この<枯葉>はまさにそうなりました。そして近年に、プレヴェールの失恋体験が詩想であることが明かされております。彼の生誕百周年で書かれた伝記によってです。結婚・恋愛の遍歴をみますと、
1925幼なじみシモーヌ・ディエンヌと結婚、1935離婚
1935ジャニーヌ・ロリス(ファビアン・ロリスの妻)との恋愛、1938離別
1936ジャクリーヌ・ロランとスペイン旅行、1938彼女と米へ、1939彼女ひとりバルビゾンへ
1939クロディ・カルターとの恋愛、同棲、離別
1943ジャニーヌ・トリコテと再会、1947結婚
最後に結婚したジャクリーヌ・トリコテは、『夜の門』の大道芸人役で<愛し合う子供たち>を歌ったファビアン・ロリスの妻でした。4番目の彼女はプレヴェールが出会ったときに22歳下の16歳、小悪魔的で Petite Feuille(小さな葉っぱちゃん)と呼んでかわいがっていたという。それが数年後には彼女に恋人ができて、彼は失恋しました。<枯葉>のルフランにはこうあります。
…北風は枯葉をさらう 忘れるという名の冷たい夜のなかへ…(小笠原豊樹訳)(2016.11.18) 後藤光夫©