さくらんぼの実る頃(8)だれに捧げられたのか

 深尾須磨子(1888-1974)はパリでフルートを習い、詩作をし、そして平和運動家でした。高田三郎により作曲された『パリ旅情』8曲も楽しませてもらいました。詩文集『パリ横丁』の「パリ祭1958.7.14」には「テルトル広場」「モン・マルトルの男」「有名なルイーズの歌」などの詩句をちりばめてあり、それはモンマルトルと<さくらんぼの実る頃>とのえにしを偲ばせます。

 パリ・コミューンの歴史上でわれわれの知るルイーズはふたりいます。見知らぬ姓不詳のルイーズと、コミューン以前からも進行中も後にも勇名をはせた有名なルイーズ・ミシェルです。モンマルトル博物館は「ぶらんこ」のある庭めぐりも楽しい。2006年、展示室は監視員だけで、2012年には学芸員がいて充実した印象を受けました。売店のルイーズ・ミシェル本も目をひきます。

 <さくらんぼの実る頃>はだれに捧げられたのでしょうか。基本的な手がかりは、この歌が収められた歌集CHANSONS de J.-B.CLEMENT,1885の献辞です。それには「勇敢な市民ルイーズ」とあります。所蔵のLe Livre d’or de la Chanson Francaise,1971,Le temps des cerises(1866)の解説には「若い見知らぬ女子労働者」とあり、「若い」ルイーズのことでしょう。

 「……詩人ジャン・バティスト・クレマンが、二十歳ぐらいの若い娘に会ったのも、フォンテーヌ・オ・ロワ街のバリケードにおいてであった。彼女は籠を手にしていた。彼女は野戦病院付の看護婦で、サン・モール街のバリケードが陥ちたので、こちらの方に何か役立つことはないかとやってきたのであった。クレマンは書いている。/『われわれは、彼女を敵から守れるかどうか分からないといって拒ったにもかかわらず、彼女は頑として、われわれのそばから離れようとはしなかった。/われわれが知ったのは、ただ、彼女がルイズという名前で、婦人労働者だということだけであった。』/後年─1885年、『シャンソン集』刊行に際して、クレマンは、かれのもっとも有名なシャンソン、『さくらんぼの熟れる頃』を、この英雄的な娘ルイズに献じている。」(大島博光著より)

 これらはバリケードで目撃した同志の遺文か伝聞か、両方でしょうか。
じつは<さくらんぼの実る頃>を献呈されたひとは姓不詳のルイーズではなく、ルイーズ・ミシェル(1830-1905)と解説されることも多いようです。「コミューンの聖女」「赤い処女」「赤色のジャンヌ・ダルク」などと呼ばれる、流刑された彼女の経歴・業績についてはあまたの文献、Wikipediaに任せます。彼女ではない証拠は、1)出会いの激戦地にアリバイあり。2)当年1871、彼女は40歳(不惑)。3)クレマンとルイーズ・ミシェルは顔見知りの可能性が大きい、なぜなら同じ18区内で委員、所属革命クラブも遠くない、など。だから彼女は次のように書いたのです。

「ペール・ラシェーズの大砲が沈黙したこの瞬間にもいまだ抵抗をやめない唯一の人びと、それはフォンテーヌ=オ=ロワ街の人びとであった。/彼らの霰弾はもはや長くはもたない。ヴェルサイユ軍の霰弾が彼らにむかってすさまじい音をたてている。/彼らが最後の砲撃をおこなおうとしていたとき、サン=モール街のバリケードから一人の少女がやって来て、一緒に働きたいと申し出た。彼らは少女にこの死地から遠ざかるように勧めたが、少女は彼らの言葉に耳をかさず、その場にとどまる。/そのしばらく後、バリケードは残る霰弾のすべてを一挙に撃ちつくして沈黙した。ヴェルサイユ軍に捕らえられていた私たちは、この最後の巨大な一斉射撃の音を、サトリできいたのである。最後のバリケードで最後まで働いていた救護班の女性に、J.-B.・クレマンが、ずっと後になって「さくらんぼうの歌」を捧げた。―─その後この女性に会った人はいない。」
Louise Michel:LA COMMUNE,1898、西川長夫ほか訳『パリ・コミューン』下

 若い見知らぬルイーズが不惑のルイーズ・ミシェルと間違えられたのは、彼女が勇敢な野戦病院付看護婦であり、ミシェルは美談も武勇伝も多々の「闘士」で、野戦看護隊を組織した、からかも。

 彼女に匹敵するウィーンの女傑は探せません。かわりにヴィーナーリートやオペレッタには「かわいい、ぴちぴちした娘たち」洗濯女がいます。洗濯業の機械化で自営業は1880年ごろには消滅しますが、映画『会議は踊る』1934では1814年ごろ洗濯(お喋り)女たちが小川の畔で働くシーンが10秒間ほどありました。シャンソンには<ポルトガルの洗濯女>がおります。(2016.1.18)後藤光夫©

 

コラム201601a
モンマルトル博物館 中庭
コラム201601b
フォンテーヌ・オ・ロワ街
201601
モンマルトル博物館のパンフレット 表(上)、内側(下)
コラム201601d
サン・ベルナール教会 ルイーズ・ミシェルの革命クラブがあった