<さくらんぼの実る頃>の歌詞1番には2種類あります。
1・6行が同じ詩句「さくらんぼの実るころになると……en serons au temps……」というのと
1・6行が同じ詩句「さくらんぼの実る頃を歌うようになると……chanterons le temps……」というのです。大佛次郎記念館所蔵のJ.-B.クレマン歌集CHANSONS,1885とLA CHANSON POPULAIRE,1900の歌詞は上で、パリ出版1971楽譜の歌詞は下です。意味としては同じでしょうが、歌集の歌詞と楽譜の歌詞とでなぜ違うのか、楽譜には本人か編者の手がはいっているのでしょうか。歌われているのはほとんどが楽譜の歌詞で、歌集どおりのはコラ・ヴォケールの古い録音1955邦盤OR8052とYouTubeでした。以下の訳は原詩が歌集のほうでしょう。(松島征訳)
- さくらんぼの実るころになると/陽気なうぐいすもものまね鳥も/みんなお祭り気分/別嬪さんたちもはしゃぎ/恋人たちも心うきうき/さくらんぼの実るころになると/ものまね鳥はひときわ歌自慢
- けれどさくらんぼの季節はうつろいやすいもの/夢見ごこちに二人して耳飾りを/つみにゆく季節/おそろいの服をきた恋のさくらんぼが/血のしたたるように葉かげにおちる季節/けれどさくらんぼの季節はうつろいやすいもの/夢見ごこちにつむ真紅の耳飾り
- さくらんぼの実るころには/恋の病いにかかるのがこわいようなら/別嬪さんは避けること!/このむごい苦痛をものともしないぼくは/一日とて恋をわずらわずにはいられない/さくらんぼの実るころは/君たちもまた恋の苦みを知るのです!
- いつまでもいとおしもう、さくらんぼの季節を/今もなおぼくの心にうづく/この季節にひらいた傷口!/たとえぼくの前に幸運の女神があらわれたとて/この傷をいやすことなどできるまい/いつまでもいとおしもう、さくらんぼの季節を/そして心にうづくこの思い出を
恋のつらさ、はかなさをうたった歌は、むかしからあまたあります。古いものから16世紀ロンサール<カッサンドルへのオード>、18世紀フロリアン<愛のよろこび>、20世紀1915の吉井勇<ゴンドラの唄>、1949レイモン・クノー<そのつもりでも>などなど。19世紀はクレマンがさくらんぼの実の熟れる短い季節にことよせて恋の歌、春の歌をうたいました。上の歌詞を読みかえしてみて、はじめからこれで1編の詩とみなしてよさそうですし、はたまた4番の詩句から理想の挫折とルイーズへの思い出をこめて加筆されたと読んでもいいのでしょう。
パリ・コミューンから95年後、「モンマルトルの女性」展1966のカタログ「『さくらんぼの熟れる頃』は、バリケードの守備隊にさくらんぼを運ぶ若い娘から、クレマンが想を得たのであった」(大島博光著より)。彼女が激戦中に運んだのは「補給物資籠」、その中身が果物というのもありかな。また彼女は「20歳ぐらい」「20歳にもならず」「20歳過ぎ」とかいわれますが、前出楽譜の解説は「若いjeune」だけで数字「20 vingt」は見えません。年齢のことは他の仏書にあるのでしょうか。訳書頼みのものにはわかりません。もとより上記の作者クレマン歌集(初版1885、再版1900:死去3年前)の献辞に年齢を表すことばはなく「勇敢な」、「市民」だけです。
「この物語(ルイズとめぐり会ったという)は、伝説であろうとなかろうと、うつくしい。われわれはこの物語を忘れないだろう。この歌は、この逸話のおかげで、パリ・プロレタリアートの不幸な英雄時代の中に、その場所を与えられるのである」(クレマン伝1968、大島博光著より)
フランス語Histoireは第1義が「歴史」で、「物語」の意味もあります。フランス人は逸話Anecdote、伝説Legende、神話Mitheなどが好きなようです。考古学者で作家のプロスペル・メリメ曰く「アネクドート以外に、一体正しい歴史があり得ようか」。また、サン=テグジュペリ「そうか、君はこれに反対か。それでもよいのだ。それでこそ我々の人生も学問も、もっと深く豊かになることができるのだ」。ふたつとも大佛次郎『パリ燃ゆ』からひいた至言です。(2015.10.18)後藤光夫©