さくらんぼの実る頃(4)作詞者と作曲者と画家たち

 <さくらんぼの実る頃>の歌詞を書いたのはジャン=バチスト・クレマン(1836-1903)です。パリ近郊、ブローニュ・シュル・セーヌ(1926-)の製粉業を営む素封家に生まれましたが、なぜか14歳で家をはなれて働きはじめ、大工、酒屋、農業など職業を転々します。叔母の住むモンマルトルへは若いころから訪ねていて、芸術家や作家たちと知遇をえていたようです。学校へは行かずに独学して、詩作もするようになります。「もしぼくが神様だったら、もう貧乏人はなくなる」、彼の思想をよく表す述懐です。作品には農民や貧民をうたったもの、恋の歌、反抗的なものなどがあります。感傷的な流行歌謡で名高く、このシャンソンはもっとも代表的なものです。(生まれた町は現在、ブローニュ・ビヤンクール市。市内に「J.-B.クレマン大通り」があります)

 反体制的な詩もあるためブリュッセルに逃れて滞在中1866年か67年(歌集にはParis-Montmartre,1866とある)、<さくらんぼの実る頃>を書きました。ジャーナリストになり、帝政と戦い筆禍によりなんどか投獄されます。パリ・コミューンのときは18区モンマルトルの委員、建設委員、教育委員に選ばれました。そして、コミューン最後のバリケードのひとつで「勇敢な市民ルイーズ」に出会うのです。1871.5.28に敗北した後は翌日から8.10までベルシー河岸に潜伏し<血の一週間>を書きあげてロンドンへ逃れます。本国では欠席裁判で死刑判決。ブリュッセルへ移り、1880年には帰国して大赦により再び詩作、社会主義活動、新聞発行などに戻ります。

 <さくらんぼの実る頃>の作曲者アントワーヌ・ルナール(1825-72)はテノール歌手ですが、北仏リール生まれではじめは小ホテルのレストランでうたい、大道芸人をへて、オペラ座の合唱団員に。ソリストとしてボルドー、リヨンなど国内各地の劇場で活動したのちパリ・オペラ座在籍(1856~61)。美声で評判を博すが、病気でオペラは断念し、回復後はライヴハウスで歌ったり作曲したり。1869年には歌手活動をやめて、声楽を教えたり、芸能事務所を営んだり。

 パリ・コミューン以前に彼は仕事さがしにブリュッセルに行き、1867年、身を潜めていたクレマンにぐうぜん会いました。そして、作曲したいので未発表の詩があればと頼みます。そこで差し出されたのが<さくらんぼの実る頃>でした。クレマンは毛皮つきコートと引き換えに、権利を譲り渡しました。依頼したのはクレマンともいわれ、オペラ引退後と逃亡者という不遇の身の上、どちらもありえましょう。ルナールが作曲したのは1867年(66か68年とも)。ヒットしたのはこの1曲だけで、それが不朽のシャンソンになりました。パリ・コミューンのとき、彼や現役歌手のテレザ、ポーリュス、ブリュアンたちはどこにいて、何をしていたかはわかりません。

 われわれの知る芸術家たちはどうしていたのでしょうか。1871.4.13に結成された芸術家連盟に画家ではクールベ、コロー、ミレー、マネ、ドーミエ、アンドレ・ジル(ラパン・アジルの絵描き)などが名を連ねます。5.16クールベは先導してヴァンドーム広場にあるナポレオン皇帝記念柱を引き倒しました。マネは家族を疎開させ、目立ったことはせず観察者でした。「内戦」「バリケード」と題してゴヤ風の市街戦を描いております。義妹のベルト・モリゾが心配していたというのに。彼女の「さくらんぼの木」も見たくてマルモッタン美術館を再訪したものでした。

 連盟員でない人たちはどうか。ルノワールは普仏戦争の徴兵から戻ったばかりで、避難もせず戸外で絵に専念です。コミューン側に怪しまれ、危ういところを知人のおかげで命拾いしました。詩人のヴェルレーヌはといえば、前政府のまま市役所で新聞局長に居座りです。コミューン崩壊後は危ないので、やがて弟分とともにロンドンへ渡りました。そのランボーは心情的思想的にはコミューン側だったようですが、参加はせず、しかるのちひとりでアフリカへ逃亡します。

 ヴィーナーリートの地元ウィーンでもっとも人気がありそうと思われる曲は<ウィーンは夜がいちばん美しい>です。このジャンルの愛好会でいちばん人気の作曲家の作品です。ウィーン在住のソプラノ歌手が義母の最愛の歌だとコンサートのレクチャーで話しておりました。日本なら<ふるさと>みたいかな、というのはどうでしょうか。昼のウィーンを満喫し、夜のウィーンをなんどか散策して実感しましたが、旅人には夜景の奥深さが恐いような気もしたものです。(2015.9.18)後藤光夫©

アントワーヌ・ルナール
アントワーヌ・ルナール
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ジャン=バチスト・クレマン

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ヴァンドーム広場
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マルモッタン美術館