さくらんぼの実る頃(1)ベル・エポック前のシャンソン

 フランス語の「シャンソン」はたんに「歌」という意味ですから、フランスで中世からルネサンス、近世、近代、現代とつくられ歌われてきた長い歴史のあるものです。日本でいうシャンソンは、フランスで「これほど歌がうたわれた時代はない」19世紀後半から「世界的な人気を集めるようになった」歌です。いわば近代のシャンソンです。このようなシャンソンはワルツのほかに、タンゴ、マンボ、ルンバ、バイヨン、マーチ、ボレロ、フォックストロット、スウィングなどさまざまなリズムもとりいれて作られるようになっていきます。ですから、いわゆるジャズ、ラテン、タンゴなどと同列のジャンル分けにはなじみません。カンツォーネが類するでしょうか。

 近代の19世紀後半といえば、「世紀末」が到来しその時代傾向は20世紀の初頭までつづきます。後世に「ベル・エポック」よき時代、と回想された期間です。その画期は終期が1914年とはっきりしていますが、始期には諸説あり、「1900年パリ万博を真ん中に前後で約30年間」と覚えておいていいでしょう。ひとが半生をふりかえり「あのころは良かった」と、懐かしむことはどの世代でもあります。しかしヨーロッパ、フランスが体験したベル・エポック直後の数年はそんな生易しいものではありません。いまから100年前に始まったのは未曽有の醜悪な戦争でした。

 第1次世界大戦が1914年6月のサラエボ暗殺事件を端緒に8月宣戦布告、大方の(4カ月もして)「クリスマスまでには終わる」という楽観をよそに、アポリネールの3年間の予想をこえて4年半にもわたりました。国境が地続きで仲良く暮らしていた隣村の人たちが、敵味方に分かれてしまう。進歩した科学技術で戦車・飛行機・毒ガスなどが殺傷力をまし、戦闘規模も拡大して戦線の兵士は塹壕戦、銃後で非戦闘の庶民ともども国民総動員の総力戦となって悲惨をきわめました。知識人たちにはかつてないトラウマを残したといわれます。史上空前の大戦争は1918年11月に終結しますが、戦死者は9百万~1千万、非戦闘員1千万と伝えられ、フランスでは戦死者が第2次大戦の3倍にも達したという。だから1900年前後のあのころは「古きよき時代」だったのです。

 ところで、日本に伝来して愛され根づいたフランスの歌は近代のベル・エポックに生まれ、現代にも脈々と作られつづけているシャンソン・ポピュレール(民衆歌謡)というものです。われわれはポピュレールを省略して「シャンソン」と呼びならわします。

 ベル・エポックの前につくられながら、われわれのシャンソンの起源とみなされる歌があります。それは<さくらんぼの実る頃>です。これに付されたパストラルということばは中世の牧歌詩のことで、ここではそれを模した作品、田園風な恋愛を題材にしたものという意味のようです。歌詞は繰り返し歌(ルフラン)のない、いわば語り歌(クープレ)だけで1番から4番まであります。ベル・エポックから多いように思われる、クープレ+ルフランというシャンソンとは違うかたちです。これより古い時代のは作者不詳で民謡が多いのですが、このさくらんぼの歌は作詞・作曲者がわかっている民謡風な歌謡ともいわれるようです。このころは民謡の復活運動が盛んだったらしい。

 オーストリアは大戦では敵対しましたが、それはさておきこの国の歌にはヴィーナーリートというジャンルがあります。シャンソンのようには知られておりません。シャンソンという言葉が日本に定着するまえ、フランス(パリ)小唄とか歌謡とか流行歌といわれたように、このリートはウィーン小唄、ウィーン歌謡、ウィーン歌曲とか各人がいい、いまだ定訳はなさそうです。ウィーンのシャンソンと説明されることもありますが、それで若いひとにもわかってもらえるでしょうか。

 伝説によると、ウィーンに巷でバグパイプを演奏しながら歌う演歌師がいて、名前はマックス・アウグスティンといいました。17世紀のペスト禍にもめげず生き残ります。死後に彼を偲んで<愛しのアウグスティン>が作詞(曲はドイツ系)されました。この歌がヴィーナーリートのはじまりとする説もありますが、純ウィーン産ができたのは1870年代のようです。繰り返し歌なしで語り歌だけの<アウグスティン>はシャンソン・ポピュレールの起源<さくらんぼの実る頃>より古い歌ですが、いつのころか渡来して幼児保育や小学校教科書にも採用され(訳詩いろいろ)、メロディをきけば多くの方がたにも聞きおぼえがあるのではないでしょうか。(2015.6.18) 後藤光夫©

 

第1次大戦に従軍し負傷したアポリネール
第1次大戦に従軍し負傷したアポリネール
愛しのアウグスティン像(ウィーン最古のレストラン外壁)
愛しのアウグスティン像(ウィーン最古のレストラン外壁)